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心にうつりゆくそぞろごと
「心にうつりゆくそぞろごとを、そこはかとなく書きまぎらわしたるもの」を紹介しようと思い立ちました。
徒然草のごとく「日くらし硯に向かう」ほど暇ではありませんが、「心にうつりゆくよしなしごと」よいうか「そぞろごと」は、いくつも現れてきます。医学書を作るよりもこの方が人間味のある文になるのではないかと思います。
しばらくは「私の心にうつりゆくそぞろごと」とおつき合い下さい・・・

  第136段:訪問診療先での会話  

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「92歳の祖母がずいぶん弱ったので診に来ていただけませんか?」との往診要請があり出かけました。
診察してみると以前からあった咳と痰が(慢性気管支炎の急性増悪)急激に増え呼吸困難を起こしておられました。
「先生、もう年だから長生きせんでもいいからすぐに楽に行かせてください」と苦しい呼吸の中から訴えられました。
「だめですよ、私が診察し始めてすぐに死なれたら、私が藪医者という評判がたつから1回は元気になってください。長い人生の最後に医者の私にも花を持たせてください。お願いします。」と答えました。
笑いながら
「それなら先生のことを聞きましょう。好きなようにやってください」と答えられ、1ヶ月足らずで回復されました。ボケ症状もなく訪問すると切れ味の鋭い話を聞かせていただいていました。若い頃には田舎の夫婦漫才をしており、とても90歳を越えた人の会話とは思えないほど速度が速く、冗談がポンポン飛び出て笑いつづけながらの訪問診療でした。結局、煙草も吸ったまま好きなようにして戴いておりました。

診察を始めてから3年くらい経ったある日、訪問をすると本を読んでおられました。
「何を読んでいるのですか?」
「いまね、歎異抄を読んでいるのです。心が休まります。」
大きな天眼鏡を片手に答えられました。
「そろそろ極楽往生させてもらいたいのだけれど、先生のおかげでそれもできない。仲良くやってね。」
「ここでお話を聞かせていただくのが私の楽しみですから元気でいてくださらないと・・・」

「先生窓の外に桜の木が見えるでしょ。私が嫁にきた頃に植えた桜です。大きくなりましたが、今度の道路の工事で切られるそうです。私の命もそこまでです。あの桜の花が見られないのなら、私も死んだも同然・・・」
やがて工事が始まり夏には桜の木は切り倒されました。

その後診療に訪れても桜の木の方向の障子は閉まっていることが多くなりました。
最初に診察してから約4年、96才の彼女には桜の木が自分の生活の楽しみだったのでしょう。
3月19日切られた桜の花がが咲く時期の少し前に極楽往生されました。

訪問してお話を聞かせていただくのも私達の楽しみです。
豊かな人生経験の中からのお話をお伺いできることは貴重な体験です。
現在も30人以上の方々のご家庭を訪問しながら勉強させていただいています。
痴呆があってもこちらがびっくるするような会話が成立する場合もあり
「ン?ンーーン?」と考えさせられる場合もあります。
楽しく笑いながらのターミナルケアを目指しています。

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