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心にうつりゆくそぞろごと
「心にうつりゆくそぞろごとを、そこはかとなく書きまぎらわしたるもの」を紹介しようと思い立ちました。
徒然草のごとく「日くらし硯に向かう」ほど暇ではありませんが、「心にうつりゆくよしなしごと」よいうか「そぞろごと」は、いくつも現れてきます。医学書を作るよりもこの方が人間味のある文になるのではないかと思います。
しばらくは「私の心にうつりゆくそぞろごと」とおつき合い下さい・・・

  第141段:ベルツの日記から  

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明治時代の教育費は国家予算の約3分の1だったということを聞いたことがあります。
その予算の中で外国人教師を雇い日本人を教育しました。
小説で有名なラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、「少年よ大志を抱け」のクラーク博士、東大のベルツなどがその代表例です。
講義の最中は役人が講義を聞きながら不良外国人講師ではないかとチェックを入れていたそうですから、相当教育に力を入れていたようですし、変なことを学生達に教えさせないようにもしていたようです。

ベルツは26年間東京帝国大学医学部で教鞭をとった後、1901年に東大を去りました。
送別会に日に
「私たち外国人教師の使命は、日本に科学の樹を育てることでした。
しかし日本人は、西洋の科学の木に育った実だけを、私たちから受け取ろうとしたのです。私たちの実を欲しがるだけで、この実をもたらした精神を学ぼうとはしないのです。」

ここまで読んで私は「和魂洋才」という言葉を思い出しました。
いいとこ取りの日本といわれる所以でしょう。
この頃からあったのかと考えましたが、辞書には「和魂洋才」はもじりで、本来は「和魂漢才」という言葉であったようです。
つまり外国のやり方をとり入れると自国人間のの魂まで変わってしまうという考えなのです。
そしてその起源は昔の中国から学問が入ってきていた当時からあった日本独特の考え方なのです。

漢字と漢文に「ひらかな」と「カタカナ」を加え和字(国字)を創作し、読みも「やまと言葉」を当てはめるという大変化をさせ、中国本土の漢字とは相互交流できないほどにしてしまいました。
(本家の中国も簡体字で昔の字に決別をしましたが・・・・)
昔も今も、外来語をよくとり入れ、日本語は保守化することなく、どんどん新しい言葉をとり入れたり作ったりしていますので、不滅の言語かもしれませんね。
(正月休の間のそぞろごとでした。)
ベルツの日記の一文からあちこちにと話が飛びまわりました。

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