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第182段:安全とは何か? |
労働衛生コンサルタントとしての仕事もしていますので、安全についてもご紹介をしましょう。
日本と欧米の安全に対する考え方には大きな違いがあります。
日本では安全を「安らかで危害または損失のおそれがないこと」とされているようですが、欧米では「危害をまったくなくすことはできないので、些細な怪我は発生してもやむを得ない、しかし、重大災害は決して起こしてはならない」という考え方のようです。
「事故0を目指して・・・」とか「・・・根絶」などという絶対にできないことを目標にするために端から見ていると「本気でやっているのかな?」と疑いたくなります。
「事故を半減しよう」とか「重大事故・災害の回避」程度のほうが現実味がありますね。
英国の労働災害と日本の労働災害を比較すると事故の発生率は日本の方がやや低いのですが、就業労働者数に対する死亡者数は日本のほうが数倍高いのが現実です。
日本が「信頼性技術と人の教育・訓練に依存した安全を進めてきた」のに対して英国や欧州では「人はミスを犯す、人のミスのほうが機械の故障よりもはるかに可能性が高いので事故防止には可能な限り人に依存せず、さらに、人のミスより可能性の低い機械の故障に対してさえも、いずれ必ず故障が発生することを前提として、安全性の立証できる技術を開発し、実施してきたこと」との差が現れているようです。
日本の考え方では「災害は努力すれば2度と起こらないようにできる」
欧米の考え方では「災害は努力しても、技術レベルに応じて必ず起こる」
日本では「見つけた危険をなくす技術(危険検出型技術)」
欧米では「論理的に安全を立証する技術(安全確認型技術)」
日本では「度数率(発生頻度)の重視」
欧米では「強度率(重大災害)の重視」
日本では「安全は基本的に、ただである」
欧米では「安全は基本的に、コストがかかる」
日本では「災害の主原因は人である。技術対策よりも人の対策を優先」
欧米では「災害防止は、技術的な問題である。人の対策よりも技術対策を優先」
日本では「管理体制を作り、人の教育訓練をし、規制を強化すれば安全を確保できる」
欧米では「人は必ず間違いを犯すものであるから、技術力の向上がなければ安全を確保できない」
日本では「安全にコストを認めにくい。目に見える具体的危険に対して最低限のコストで対応し、起こらないはずの災害対策に、技術的深耕をしなかった」
欧米では「安全にはコストをかける。危険源を洗い出し、そのリスクを評価し、評価に応じてコストをかけ、起こるはずの災害の低減化努力をし、様々な技術、道具が生まれた」
というような比較がありました。
医療事故の問題や交通事故などに置き換えて考えてもらえれば日本と欧米との考えか他の差が良くわかると思います。
参考文献:国際化時代の機械システム安全技術(日刊工業新聞社刊)