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第233段:大切にしたいご本人の人生観 |
「先生、もう私を苦しませんで下さい。私も家族も親戚も誰も文句は言わんから、私を火葬場に行かせる書類にはんこをついて下さい。」と90歳を超えた女性からの注文です。
「いいえ、人間なんていつ気が変わるかわからないので、そんなことはできません。」と答えると、私のシャツを掴んで、いつになく強い力で引っ張りながら
「今日は日曜日だから先生を待つ患者さんはおらんから、はんこを押すと約束するまでこの手を緩めやせんけえねえ」と答えられます。
揚句に「先代の先生は融通のきく立派なお方じゃったが、若先生は堅物で話にならん・・・、誰も文句はいわないから、頼むから私を火葬場に送ってやんさい」
数日前まではいつもの穏やかな表情での受け答えでしたが、急に体のだるさや苦しさを感じはじめられたのか、突然の変わりようでした。
30分近く私のシャツを握ったままの押し問答が続きましたが、疲れてきたのか手の力が抜けてしまいました。
「明日もまた顔を診に来ますよ。」と言い残し帰宅しようとしましたが、彼女の顔は
私と反対側の壁の方を向いていました。
翌日、午前中の診療を済ませて訪問診療に伺うと、彼女は布団をかぶったままです。「昨日は先生にひどいことを言ったので今日は合わせる顔がない・・・、いたしいから何とかならんじゃろうか?」とか細い声で話されます。
「昨日のことは昨日のこと、今日は今日でちゃんとやりましょう。」と私が答えて診療が始まりました。
訪問診療と呼ばれる定期的な高齢者の在宅の診療は、治療行為よりも話が中心になります。
患者さんが話せるのなら患者さんとお話をし、さらに家族の方々とのお話にも時間がかかります。
会話が成立しない痴呆の患者さんではご家族とのお話が中心にならざるをえません。
顔色や肌の状態、目つきや声のはりなどで状態を判断した後は、しばらくお話し相手をするのが仕事です。
私が疲れた顔をして訪問すると「今日は先生具合が悪くないか?」と反対にたずねられたりして、一見すると医療をするとか命を助けるという行為とは無縁のような時間です。
在宅の医療でも医師がかかわっていれば多くの医療行為を予想される方も多いのではないでしょうか?
闘病生活というような状態ではなく、静かに消えゆくような人生の終末期には医療行為は不要となることが多いのです。
多くの会話の中でご本人や家族から人生の終末期の生活観や人生観(死生観を含む)を聞かされます。
私自身が自分の生活観や人生観を患者さんや利用者に押し付けている姿に気付くこともしばしばです。
そしてお話を聞かせていただきながら私が勉強している状態です。
火葬場に行かせてくれと懇願された女性は私のシャツを掴んだ数日後に「おじいさ
んの所に行きますよ」と話され、その2・3日後に私がくだんの書類にはんこを押す
ことになりました。
私のシャツを掴んだあの日の力は今も覚えていますよ。
2003年4月の山陰中央新報「いわみ談話室」から