そぞろごとトップ 検索 管理用 松本医院Home

心にうつりゆくそぞろごと
「心にうつりゆくそぞろごとを、そこはかとなく書きまぎらわしたるもの」を紹介しようと思い立ちました。
徒然草のごとく「日くらし硯に向かう」ほど暇ではありませんが、「心にうつりゆくよしなしごと」よいうか「そぞろごと」は、いくつも現れてきます。医学書を作るよりもこの方が人間味のある文になるのではないかと思います。
しばらくは「私の心にうつりゆくそぞろごと」とおつき合い下さい・・・

  第242段:在宅での死か施設での死か  

[前頁]  [次頁]

「ご臨終です。・・・とうとう逝(い)かれたのですね。・・・長い間本当によく看(み)られましたね。・・・ご自宅で最後を迎えたいとご本人が希望されても色々な事情で叶えることができないことが多いのですが、ご家族のお力もあってこうしてご自宅で最後を迎えることができましたね。お疲れ様でした。・・・これから色々とお取り込みになられるでしょうが、お疲れがたまっていますので、無理をなさらないで下さい。」自宅で亡くなった方の家族へのねぎらいの言葉を掛けあいさつを済ませるといったん医師としての仕事は終わります。

1999年度の益田市で亡くなった560人の内、家庭での不慮の死などを除くと約60人が在宅での死亡です。
悪性新生物と呼ばれるガンの場合では194人が亡くなられていますがその内の9人が在宅での死亡です。
脳梗塞などの脳血管障害では亡くなられた70人の内3人が在宅での死亡で、老衰死の22人中15人が在宅死でした。

本人が人生の最後を自宅で迎えたいという希望をもっておられても、入院加療を必要とする場合や、家庭の事情、さまざまな問題から在宅での生活が困難になることが少なくありません。
元気なときから「私には無駄な治療などしないで自然に逝かせてください。」とお願いされる場合もあります。しかし、いざその時になると心変わりがすることもあるらしく、「もう少し楽になりませんか?」と本人から依頼があったり、家族から「実はいくら在宅がいいといわれてもこんな状態になるとは思わなかった。
何とかしてください。」と入院を懇願されたり人生の終末期は思い通りにいかない場合が多いようです。

在宅で生活しておられる高齢者の衰弱が進んでくると、本人や家族の方に「今後急変した時などはどうされますか?」と医師の私や看護婦、ケアマネージャーなどからも質問させたりしながら終末期の迎え方の希望を聞き出しています。
家族にとっては「病院や施設に入れないことは老人を見放していると他人から思われないか?」とか、「本当に最後のときを自分たちだけで迎えることが自宅でできるのか?」という不安もあるようです。
ご家庭を訪問し診察を済ませたあと、別室での会話では在宅で死を迎えさせる家族に心の準備をお願いするお話の時間になる場合もあります。
家族や親戚縁者が集まり相談の結果やはり施設へという結論が出ることもあります。

臨終が近づき毎日のようにご自宅を訪問していても「果たしてこのまま在宅でよいのだろうか?」と悩まれる姿を見ることがまれではありません。
在宅死が11%程度の益田市の状況が多いとも少ないとも私にはわかりませんし、「在宅死が理想で、施設での死は避けるべき」などという一方的な論調には賛同しかねます。
家庭で最後を迎えられた家族の方にも、病院で最後を看取られた家族の方にもそれぞれに「本人にとっていい最後であった」という気持ちになれればよいのではないでしょうか?

何年か前に「医者がついていようと家族がついていようとダメなときはダメなのだからバタバタしなさんな」と亡くなる2週間前の高齢者に叱られたことを思い出します。

[前頁]  [次頁]


- Column HTML -