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心にうつりゆくそぞろごと
「心にうつりゆくそぞろごとを、そこはかとなく書きまぎらわしたるもの」を紹介しようと思い立ちました。
徒然草のごとく「日くらし硯に向かう」ほど暇ではありませんが、「心にうつりゆくよしなしごと」よいうか「そぞろごと」は、いくつも現れてきます。医学書を作るよりもこの方が人間味のある文になるのではないかと思います。
しばらくは「私の心にうつりゆくそぞろごと」とおつき合い下さい・・・

  第258段:痛みを感じる  

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採血や注射、処置などで思わず「痛いッ!」と声をあげたり叫びたくなることがありますね。
病院嫌いや医者嫌いの原因の一つはあの痛みのためではないでしょうか。

痛みの感じ方は人それぞれで、精神的な影響もあるため本当の痛みの強さは医師にもわかりません。
あまりの強い痛みのために声も出せない患者さんや、顔面蒼白になっている患者さんに出会うと「すっごく、痛いだろうな」と思い同情はしますが、医師の私には他人事です。
(診察している患者さんの痛みを自分の痛みとして感じていたら医師なんて仕事は絶対続けていません。)

一番強い痛みは何かという仲間内の会話での結論は婦人科の子宮外妊娠の破裂ではないかという結論でした。
「痛みで失神する」という言葉が決定的でした。
確かに胆石の痛みも、尿管結石の痛みも O−157の時の腹痛も激烈なようですが失神するような痛みではありません。
心筋梗塞や解離性大動脈瘤なども強烈な痛みで急性の病気には激痛を伴うものが多いのです。

しかし痛みはさまざまで慢性のリウマチなどの痛みも人間を苦しめます。ガンの痛みも負けず劣らず患者さんを悩ませますが、麻薬などを使用することでかなり我慢ができるようになりました。
(昔の医療では痛みは我慢するものという暗黙の了解があり患者さんはずいぶん苦しめられました。)

さて採血や注射などでの針を刺される痛みは「目を開けて見ている」のと「目をつぶって見ていない」のとではどちらが痛くないのでしょうか?
実は目を開けてみているほうが痛くないようです。
ベッドに寝て仰向けで針を刺されるときには針を刺す直前に「針を刺しますよと」一言声をかけてもらう方が痛みが少ないようです。
痛みに対して身構えることが可能な場合は痛みを弱く感じることができるのですが、目をつぶっていたり、黙って針を刺されたり、思わぬところで痛みが発生すると予想以上の痛みになります。
息を吸い込んで痛いぞ痛いぞとビクビクしながら緊張していると痛みの感じ方も強まります。
逆に笑顔や気軽な挨拶がリラックスを生み出し痛みが軽くなる場合もあります。

献血などは自分の自発的な意志で針を刺されるので痛みを感じても軽く感じるのですが、不意に検査での採血を指示されたり、失礼な応対をされた後で雰囲気の悪い医療技術者から採血をされたりすると必要以上に痛みを感じてしまうものです。

こんなことからも、精神的なものが痛みの強さを調節していることも理解できると思います。
患者さんの精神状態は医療技術者の態度や雰囲気からでも変わります。
自信のなさそうな態度が見えると次の処置に不安を覚えますから当然痛みを感じやすくなります。

「痛いものは痛いのだから我慢しなさい」と親から言われた経験はありませんか?
こんな言葉を最近は聞きません。
自分が感じたことはそのまま素直に発言するように育てられた方が多いのか、こんな程度の状態でこんなに痛いと騒ぐのかと疑問に思うほど痛みを強く訴えられます。
最近の研究では痛いことを「痛い」と口に出すと痛みの感じ方が軽くなることがわかっています。
ですから我慢せずに「痛い!」と叫びましょう。
痛いと叫ぶことがあなたの痛みを和らげるのです。
遠慮している時代ではなくなりました。
やせ我慢をするよりも少しでも快適な生活になるように適切に痛みを訴えてください。

東京ビルヂング「カルテの落書き」から

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