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心にうつりゆくそぞろごと
「心にうつりゆくそぞろごとを、そこはかとなく書きまぎらわしたるもの」を紹介しようと思い立ちました。
徒然草のごとく「日くらし硯に向かう」ほど暇ではありませんが、「心にうつりゆくよしなしごと」よいうか「そぞろごと」は、いくつも現れてきます。医学書を作るよりもこの方が人間味のある文になるのではないかと思います。
しばらくは「私の心にうつりゆくそぞろごと」とおつき合い下さい・・・

  第264段:医者を選ぶのも寿命の内  

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医者仲間で会食していたとき
「おまえが病気になったときには誰に診てもらうつもりかい?」
と一人が問い掛けました。

「俺には主治医になってほしい医者がいないの! 同じ医者同士だから会話の中から相手のの知識や腕が推測できるけど、すべてを任せるだけの医師には出会ったことがないよな。自分自身じゃできないし、最後の判断のときを任せられる医師は今のところなし!」
「僕も同じ、どいつも「帯に短し、たすきに長し」だもの、医者を選ぶのも寿命のうちだけど選択肢がないのがつらいね。」
話はどんどん盛り上がりました。

医師にも知識や技術に大きな差があります。
そして腕前といわれる部分での差だけでなく、医師と患者さんとの間の信頼関係の構築の仕方の上手下手が、問題になってきています。

名医といわれる医師を紹介していただき受診したけれどもなんだか「そりが合わな」、「聞きたい話がうまく聞けない」などと悩んだことはありませんか?

「腕は良いのだろうけど、ちょっと・・・・」という話は出ませんか?

医師の生活習慣や生活信条が患者さんの診察時や指導時に出てきます。

ある研修会での糖尿病のシンポジウムで出席者から5人のシンポジストに質問が出ました。
「各々の先生方はタバコを糖尿病の患者さんにどのように指導されていますか?」、「出来れば吸わない方がよいと指導します。」、「絶対だめと指導します。」・・・
それぞれの答えは積極的に禁煙と答えられた3人の医師は非喫煙者でしたが、自らが喫煙者の2名は歯切れの悪い答えでした。

ところがその日の司会者は喫煙者の大学教授でしたので「この質問に対する答えは指導する医師が喫煙者と非喫煙者で答え方が明らかに異なることがわかりました。
そして私も喫煙者ですのであまり強くは禁煙を指導できません・・・・・・・」、つまり自分がタバコを吸っている医師は患者さんに強く禁煙を求めないということです。

となると喫煙する医師を主治医に持つと本当に禁煙が必要なときにもあまり強く指導を受けないということです。
患者さんの方は絶対禁煙といわれると覚悟して受診しているのに、医師から甘い言葉が出てくるとこれ幸いとタバコが吸えるわけです。
ここに「医者を選ぶのも寿命の内」の解釈のひとつがあります。

肥った医師は体重の減量を指示するのがつらいですし、酒が好きな医師は禁酒や節酒を強く指導しません。
大食いの医師は食べすぎを戒めません。
運動嫌いは運動療法を過小評価します。
薬害を気にする医師は薬を使いたがりませんし、自分が大量に薬を飲んでいる医師は大量の薬を出すことに抵抗感がありません。
検査好きの医師は検査を連発しますが、人間ドックの担当の場合には自分の専門外の分野の疾患の場合には精密検査や再検査に消極的な場合があります。

患者さんの生活習慣や考え方と似ている医師を主治医にすると医師と馬がよく合い最高の医師患者関係となります。
でもそれが本当に患者さんの健康問題での正解かどうかはわかりません。
だからやっぱり「医者を選ぶのも寿命の内」なのです。

治ることが望めない終末期の医療はもとより、一般の診療でも人生観や死生観が医師によって大きく異なるため患者さんや家族の方々への話し方がまったく変わります。
治療をしつづけることが医療と信じて疑わない医師、無駄な医療だからと積極的な医療を控える医師、医者を選ぶことにもう少し躊躇してみませんか?

古典的な解釈では医者の腕前で寿命が違ってくるのでよい医者を選びなさいという意味だったのでしょうが、改めて考えると自分や家族のの健康問題が主治医の生活習慣や生活信条、人生観や死生観に左右されているということです。
もう一度主治医の生活を探ってみませんか?

東京ビルヂング「カルテの落書き」から

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