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心にうつりゆくそぞろごと
「心にうつりゆくそぞろごとを、そこはかとなく書きまぎらわしたるもの」を紹介しようと思い立ちました。
徒然草のごとく「日くらし硯に向かう」ほど暇ではありませんが、「心にうつりゆくよしなしごと」よいうか「そぞろごと」は、いくつも現れてきます。医学書を作るよりもこの方が人間味のある文になるのではないかと思います。
しばらくは「私の心にうつりゆくそぞろごと」とおつき合い下さい・・・

  第271段:「敬老の日」に感じたこと  

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「先生、やっと親父(おやじ)を超えられたよ」と、ニコニコ顔の男性が診察室のいすに座ると話し始めました。「何が超えたのですか」と聞くと、「昨日で 93歳と1ヶ月だから、親父が数え年の94歳と一月で死んだから、わしが昨日で寿命で勝ったのよ、あの親父には負けたくないと思っといたから嬉しいねえ」。「良かったですねえ、どんなお父さんでしたか?」と診察室の会話が弾んでゆきます。

その日はいつも以上に弁舌さわやかで「人は楽しみを持って、何でも良いように考えないとだめだねえ。頑固なのもいけない」と続きます。長寿の元気のもとを教わった感じでした。

この夏、訪問診療したあるお宅では「七夕近くの日にデイサービスに行ったら笹にいろんな願い事が書いてあってね。『寂しいからお父さん早く迎えに来て』という短冊を見つけてねえ、一緒にいた人と涙を流して、本当にそんな気分だねえと話していたのですよ」とまた涙を流しながらの話を聞いて帰ったことを思い出しました。

その日は私がゆっくり話を聞きそうな顔をしていたのでしょうか。次に訪れたお宅では一通りの診察が済むと、ベッドに横たわった女性から「私が四十の時に主人はあっという間に逝ってしまって、子供は私一人でほとんど育てたようなものです。あれから五十年もたつけどまだ迎えにも来てくれない。一体どうしたわけでしょう?」と質問を受けました。とっさに私は口から「ご主人はいい男だったでしょ。だから、あの世でいい人ができて、あなたを迎えに来るのを忘れてるのかもしれませんね」と答えてしまいました。「うん、うん、いい男だったからそうかもしれん、あの人なら他の人が放ってはおかん、あの世で放ったらかされて、すぐに私を迎えに来られたら、子供も育てられんかった。そうか、そうか」とさらりと受け流していただいて私は一安心しました。あんな答えに調子を合わせるだけの余裕があるからまだ大丈夫、と勝手に解釈して次の訪問先に向かいました。

80歳、90歳を超えてくると、「お迎えに来てほしい」と様々な形で訴えられる方が少なくないことを改めて思い出しました。

本年8月に厚生労働省から出された平成16年の簡易生命表では70歳の女性は平均であと18.98年、男性が14.51年、80歳の女性は 11.23年、男性は8.39年生きるとされています。この数字をお見せすると「まだ、そんなに生きなくてはいけないのですか?」というような意味合いの返事が少なくないのが現状です。90歳の女性なら平均であと5.69年、男性で4.36年という数字は様々な意味から辛い数字でもあるようです。

「いつまでもお元気で」という言葉を見るとガリバー旅行記の中のラグナグという国の話を思い出します。不死の人間は生き続けることに希望もなく、絶対に死ねないという前途を悲観し、周りで人々が次々と生まれては死んでいくことに深い嫉妬をしている様子を見てガリバーは自分の持つ不老不死の願望のむなしさに気付く話です。

目標や希望があって生き生きと長寿を更新する人、もうそろそろお迎えが来ても良いですよと淡々とした人、改めて高齢者を見直した9月の「敬老の日」でした。

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