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心にうつりゆくそぞろごと
「心にうつりゆくそぞろごとを、そこはかとなく書きまぎらわしたるもの」を紹介しようと思い立ちました。
徒然草のごとく「日くらし硯に向かう」ほど暇ではありませんが、「心にうつりゆくよしなしごと」よいうか「そぞろごと」は、いくつも現れてきます。医学書を作るよりもこの方が人間味のある文になるのではないかと思います。
しばらくは「私の心にうつりゆくそぞろごと」とおつき合い下さい・・・

  第272段:終末期の希望を伝えて  

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「何かありましたら、こちらからご連絡いたします」という言葉が妙に耳に残ったまま建物の外に出て二人は車に向かい、私が無言のままで車を運転し始めました。しばらくすると母が「私の時には、あんなふうに管を使って栄養剤を入れたりしないでね」とぽつりと言いました。「うん、希望がかなうようにするよ」と答える私。その後、しばらく二人は無言のままでした。

遠縁の高齢の女性を特別養護老人ホームに面会に行って帰りのことでした。前回の面会時には認知症が進行していて、私たちが誰だか理解できていないのだろうと推測しながら帰った覚えがありました。それから数ヶ月、いや1年以上経過していたかしれません、食事が満足にできなくなって衰弱も進んだため、ご家族の了解もあったのでしょう、食事に代わって管を使っての栄養補給になっていました。子でも孫でもなく、身元引受人でない私たちには何の相談もないのが当然です。最後の面会になったその日から数ヶ月して訃報(ふほう)を受け取りました。

「自然界の動物の世界では自ら食べる能力がなくなったら、それで死んでしまうのだから、私も動物のように自然に死にたいから不必要な延命処置はしないで下さい」とリビングウイルに似たお願いをされる方も少なくありません。

1970年代から使われ始めたリビングウイルという言葉ですが、当時は「終末期に生命維持装置を付けられていた場合には、担当医に生命維持装置を外して自発呼吸ができるようにしてもらい、医療の介入なしに寿命がきたら自然に死を迎えたい」という患者の意思を書き残しておくための文書でした。76年にカリフォルニア州自然死法ができてから日本でも様々な取り組みがなされていますが、現在もなんら法の整備はされていません。

ご本人から終末期の医療のご希望を私が受け取っていても、家庭の事情や遠隔地での突発事故の場合にはご希望にそえなかったことも少なくありませんが、元気なときのご本人のご希望を家族の方々も良くご理解していただいている場合には、不必要と考えられる医療行為を止め、いわゆる自然な死をお迎えできるようにしています。(いかにご本人や家族の希望でも、日本の法律の枠を超える医療行為はしておりません)

もちろんご本人の希望ですから、「出来る限りの治療をしてください、機械につながれて生かされていると言われる状態でも、薬漬になっても、点滴などの管をたくさん付けてでも頑張らせてください、待っている内にいい治療法が見つかる可能性だってあるはずですから」とお願いされる方もあります。「その通り、あなたの生きかたを達成できるように頑張ります」と私は答えます。

私の診療所で使用しているカルテの片隅には患者さんの終末期の希望の内容が記載されています。しかしながら、実際のところはご本人に意思の確認が出来ていないことの方が多く、現場の私たちには「先生お任せします」と判断を押し付けられてしまいます。明確な目標がなく無意味と思えるような医療を続けることほどむなしいことはありません。終末期のご自分のご希望をお伝えくださると助かります。

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