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心にうつりゆくそぞろごと
「心にうつりゆくそぞろごとを、そこはかとなく書きまぎらわしたるもの」を紹介しようと思い立ちました。
徒然草のごとく「日くらし硯に向かう」ほど暇ではありませんが、「心にうつりゆくよしなしごと」よいうか「そぞろごと」は、いくつも現れてきます。医学書を作るよりもこの方が人間味のある文になるのではないかと思います。
しばらくは「私の心にうつりゆくそぞろごと」とおつき合い下さい・・・

  第283段:日本で一番最初に協同組合でつくった組合病院  

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昔話の282段の続きです。

日本で地域型の医療保険制度を作ったのは青原村(現在の津和野町)です。
これについて追加をしてみましょう。

1997年の9月に元島根大学の学長の北川泉先生が生活協同組合の講演で青原村のことについて講演されています。

「これは今でも大きな意味をもっていますが、病院経営です。日本で一番最初に協同組合でつくった組合病院は、今の日原町(現在の津和野町)の青原に大正8年にできました。青原の大庭政世という当時の組合長は非常に馬力のある人で、協同組合思想も非常に堅固な方でした。その人が大正8年に設立したのが、日本で初めての協同組合立の病院です。そういう病院が島根県の各地にできます。最初は日原ですが、その後新庄町の秋鹿病院、秋鹿は今は松江市に入っていますが。それから安来のほうの母里、そして今の吉田村の田井診療所とかです。
当時、 診察料は無料、そして薬代と手術代は2割引きということでした。そのうえどうしても入院を必要とし、しかもお金がない人には無料で診療所を開放しました。そういうことをこの時代にやっているんですね。」
http://ha1.seikyou.ne.jp/home/kki/sinpo/simane/part1/simakyo.html

協同組合人物略伝によればこれらの事業の推進役は 大庭政世 ( おおばまさよ)で1882年(明15)2月14日、島根県鹿足郡日原町(旧須川村)に生まれ、京都農林学校を卒業し、愛知県立農事試験場技手に就任、ついで1907年(明40)鹿足郡青原村の大庭家の養子となった。
翌年職を辞して帰郷後は・・・

鹿足郡は島根県の西南端で文化に恵まれず、病気になればただ死を待つばかりの無医村で、これらの解決は農民多年の悲願であった。

彼は産業組合(産組)の共存同栄・相互扶助の精神と農民自身の力によって施設をもつよりほかに道はないと決断し、地方開業医の猛烈な反対を押し切って、全国にさきがけて産組による医療事業を同村産組の生産部事業として開始し・・・

「組合員諸子は今日限り貧乏根性を脱し・・・・・・・諸子が必要とする資金を充実するはもちろん店舗も診療所も、精穀その他の利用工場も諸子の要望によってこれを施設し、道路改修、電燈の架設も組合機能の許す限り便宜の手段をとり時勢の進運に伴って必要とする施設はいつでも行う方針である」
とも述べています。
実に壮大な構想を持っていた人が郷土にはいたのでした。

1930年(昭5)日原町に石西購買利用組合共存病院ができて青原村産組診療所は実質的に引き継がれた。
現存の長石厚生連津和野病院は、この分院が発展したものである。
1939年(昭14)5月19日、名古屋の旅舎で没した。
http://www2.ienohikari.or.jp/WebApl/KJinRyaku.nsf/WebApl/KJinRyaku.nsf/88411B5799682B00492568DD002679C2?OpenDocument

この後青原村には診療所がなくなり、私の祖父が近くに出張所を開設して馬で出張所に通っていたようです。
(私の生まれ育った家には納屋や馬小屋が残っておりそこを取り壊して今は私の住まいになっています。)

日原共存病院は2007年には病院機能を津和野共存病院に移管して診療所となり療養施設と診療所として再度のスタートを切ります。大正時代の極貧の地域で地域を奮い立たせた大庭政世のような夢を実現する人が現れたら素晴らしいですね。


<関連情報>
日原共存病院
http://www.sun-net.jp/~nichi_hp/nichiHP/enkaku1.html

JA島根厚生連
http://koseiren.ja-shimane.gr.jp/koseren.htm

協同の心が息吹く(シマネスク19)
http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/esque/19/menu05d.html

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